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DEAD OCEANS
(2020-06-26)

はばたけ、モルデカイ

ウェス・アンダーソン監督の2001年作『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の劇中でルーク・ウィルソン演じるテネンバウム家の次男が飼っていた“モルデカイ”という名の鷹は、バラバラになってしまった家族の再生を暗喩する存在だった。その鷹は、止まっていた家族の時間を再び動かす存在のメタファーとして扱われていたように思う。

奇しくも、Khruangbinが2年ぶりにリリースした新作『Mordechai』のジャケットにも一匹の鷹が描かれているのだが、そもそも“モルデカイ”という(人)名は旧約聖書に登場する偉人に由来しており、それが"鳥"だとする言説は実はどこにもない。では一体この鷹はどこから来たのだろう――。



2018年初頭にリリースされた『Con Todo El Mundo』で文字通り世界的な人気を得た彼らの新作『Mordechai』では、ほぼ全編で3人のヴォーカルがフィーチャーされている。これまでも曲中にチャント的なスタイルで“声”が入る事はあったが、それはあくまでも彼らの鳴らすサウンドのひとつ、という認識で良いだろう。だが今回は、歌詞を含んだ、メロディーを伴った“歌”が演奏に添えられている。



もちろん彼らの演奏自体にはさほど大きな変化はない。ドナルド“DJ”ジョンソンの叩く寡黙で抑制されたビートとローラ・リーの紡ぐしなやかで独創的なベースライン、マーク・スピアーによる無国籍で変幻自在なギター・フレーズ。バンドの大きなチャームである、至極フィジカルで緩急剛柔なグルーヴと、その後ろにあるレアグルーヴ的な<採取・折衷・編集>感覚はより一層磨かれているようにも思える。

“それが人生”と世界各国の言語で合いの手が入る軽やかなディスコ「Time(You and I)」や水の流れるようなギターのアルペジオが印象的な「So We Wo n't Forget」(春先の日本で撮影が行われたと思われるMVも素晴らしかった…)、スペイン語のボーカルが入るアラビアン・ファンクともいえる「Pelota」などの今作のフック的役割を担う楽曲は、質感的な“クルアンビンらしさ”を損なうことなくより大衆へ訴求できるであろうキャッチーさを備えている。ヴォーカルが入る事により、バンド特有の記名性が失われる危険性もあったはずだが、彼らは見事にそれを避けた。



では今作における変化=ボーカルの導入はなにゆえ起こったのだろう? 実はレーベル・サイトのイントロダクションによると、今作のボーカルはメンバー間の本当にごく自然な流れで取り入れることが決まったという。とりわけ狙ったわけでもなく、言うなれば彼らの音楽の多面性を更に広げるために必要なことだったのだ。

そしてそれは、本作の制作前にローラ・リーが体験したとあるスピリチュアルな出来事に起因しており、その出来事の傍らにいたのが、本作のタイトルの由来にもなった“Mordechai”という名の男性の友人だった。“生まれ変わり”と例えらえたローラのその体験を経て、彼女は自分の中に“伝えたいこと”が芽生えていくのに気づいたという。

「私達が決して / 忘れないように / 私が思い出せるよう、口にして」(「One to Remember」)

「望む通りに私を呼んで/ 必要な名で私を呼んで / 言葉で語らなくていい/ この胸に秘めたまま」(「So We Won’t Forget」)



<時の経過>や<人の記憶>に言及したと思われるこれらのリリックは本作の詩作面でのテーマを映した一節だ。「忘れないように="So We Won’t Forget"」するために日々私たちがするべきこと。そして先述のリード曲「Time(You and I)」で繰り返される、これからの人生を自らの足で歩んでいこうとする強い意志。それは、世界中の人々と、再び共に歌い踊るためのKhruangbin流の人生賛歌のようでもある。

これらのメッセージは、彼らのそのどこか不明瞭で抽象的な魅力に溢れた音楽に、また新たな魅力をもたらした。そう、『Mordechai』はバンド・メンバーの「生まれ変わり」をひとつのきっかけに生み出された、まっとうにポジティブな作品なのである。