PJ Harvey作品で知られるJohn Parishがプロデュースを手掛け、Perfume GeniusことMike Hadreasとのデュエットも収録した前作『Party』がRough Trade Shopの年間ベスト・アルバムに選ばれ、一躍脚光を浴びたニュージーランド出身のAldous Harding。


そんな彼女が再びJohn Parishとタッグを組み、Queenの「Bohemian Rhapsody」など数々の名曲を生んだウェールズのロックフィールド・スタジオで録音した新作『Designer』が、前作に続いて4ADからリリースされた。

ダークでフォーキーな楽曲と、毎回観る者を不安にさせるミュージック・ビデオも話題の彼女。新作と『Party』の日本リリース、そして12月の来日公演を記念して、謎に包まれたその生い立ちや、ニュージーランドのシーンについて話を聞いてみた。



新しい声が登場する。まるで友達がやってきたような感覚


――日本向けのインタビューをする機会はあまりなかったと思うので、いくつか基本的な質問をしたいのですが、まずはあなたの生まれたニュージーランドのリトルトンという町について教えてください。マイケル・J・フォックスが主演したピーター・ジャクソン監督の映画『さまよう魂たち』が撮影されたというのは本当でしょうか?

『さまよう魂たち』が撮影されたというのは本当よ。だけど私はリトルトンで生まれていないの。オークランドで生まれて、18歳になってからリトルトンに引っ越したのよ。とにかく、リトルトンは小さな港町で、都市部からはトンネルを通って丘を越えて10分くらい行ったところにあるの。すると視界が開けて美しい港が見えてくる。道の脇には、木材の巨大な山がたくさんある。トンネルを抜けるとすぐそれが見えるから面白い風景よ。リトルトンにはその風景の絵を描いているアーティストの女性もいるわ。

――ご両親もそれぞれブルース・シンガーとフォーク・シンガーだったそうですが、音楽とはどのように接してきましたか?

子供の頃って、持っていないものを欲しがったりするでしょう? 私は音楽の世界から離れたいと思っていた。音楽以外のものの方が面白いと思っていたの。私にとって音楽は日常だったから。当時は他の子供たちと同じようにラジオをよく聴いていたわ。人気のポップスをよく聴いていて、踊るのが大好きだった。そういう音楽が好きだった。自分独自のテイストを追求するようになったのは、多分16歳くらいの頃かしら。友達の母親からカセットをいくつかもらった時があって、その中にSeals & Croftsのカセットがあったから「Summer Breeze」を繰り返し聴いていたわ。それが、自分独自のテイストの音楽を探すきっかけになったと思う。



――ニュージーランドの音楽で思い出すのは、70年代から活躍するロック・バンドのSplit Enzと、そのメンバーが結成したCrowded House、本国でのあなたの所属レーベルでもあるFlying Nun、そしてシンガー・ソングライターのLordeです。あなたはどんなミュージシャンが好きでしたか?

私もCrowded Houseは大好き。ニュージーランドのミュージシャンだったら、The Chillsも大好き。あと、The BatsやThe Cleanも大好き。あと私が好きなミュージシャンだと、Neil Young。彼の音楽は大好き。あとGeorge Harrison。Arthur Russell。Connie Converse、Sandy Denny…好きなミュージシャンはたくさんいるわ。

――アーティスト名を本名のHannah Hardingから変えた理由は? 作家のオルダス・ハクスリーが好きだったのでしょうか? 他に好きな作家はいますか?

バンドに名前を付けただけなの。オルダス・ハクスリーが好きなわけではなくて、ただ名前として面白いかなと思っただけ。バンドをやるならバンド名が必要でしょう?だからバンド名としてオルダス・ハーディングというのを選んだの。好きな作家は、アルベール・カミュ、リチャード・ブローティガンとか…たくさんいるわ。

――あなたとMarlon Williams、Nadia Reid、Julia Jacklinのファースト・アルバムはすべてBen Edwardsがプロデュースしていて、参加メンバーも被っています。彼らとは交流があるようですが、どのように知り合ったのでしょう

まずBenとは、リトルトンに移ったすぐ後に出会ったの。リトルトンは小さな町だから音楽シーンもそんなに大きくはないの。彼とはライブで出会った。当時私はリトルトンでバンドと一緒にギグをやっていて、彼はそこで音響を担当していたとかだったわ。それが具体的にいつだったかというのは思い出せないけれど、音楽関係の何かで知り合いになったの。友達になって1年くらいしてから一緒にアルバムを作ろうという話になったの。

――他の人たちとはどのようにして知り合ったのでしょうか?

Nadiaはずっと前から知っているの。親愛なる友達よ。母親同士が近かったの。母親同士が同じサークルだったから、子供の頃はNadiaとよく一緒に遊んでいたわ。その後、私は高校を卒業するためにダニーデンに戻ったんだけど、その時に彼女と、彼女の母親と一緒に住んでいたの。その方が、私が寮に入らなくて済んだから。だから彼女とは非常に親しくなったわ。私の姉のようなものよ。彼女も私のことを妹みたいに思っていると思う。Julia Jacklinはメルボルンで知り合いになった。私が住んでいた部屋の下にあるパブで会ったの。彼女は素敵な人よ。ミュージシャンとしても素晴らしい。あまりたくさんの時間を一緒に過ごしたわけではないけれど、素敵な人よ。

――ファースト・アルバムに収録されている「Titus Groan」と「Titus Alone」は同じ曲の別バージョンですが、同時にイギリスの作家マーヴィン・ピークの小説『ゴーメンガースト三部作』のタイトルでもあります。これにはどういった意図があったのでしょう?

当時、私はマーヴィン・ピークを読み返していた。だからその世界に入り込んでいたのかもしれないわね。(沈黙)ごめんなさいね。昔の話だから、あの曲を今、思い出しているのだけど…若い頃はマーヴィン・ピークの作品をよく読んでいて、おそらくタイタスは当時の私にとって、私を状況から救ってくれる仲間だったのだと思う。よく分からない。ちゃんと思い出せない。今、曲を思い出して歌詞について考えているのだけど、私は当時、友達というものを探していたのだと思う。

――ところで、アルバムのジャケットであなたが被っている“Liquor Centre”という帽子は、ニュージーランドの酒屋チェーンですか? 昔働いていたのでしょうか?

そう、リトルトンにあるチェーンよ。あの帽子は、私がこのお店のお得意様だったからくれたの。ちょっと悲しいわよね(笑)。


Aldous Harding - Aldous Harding (Woo Me!)


――セカンド・アルバム『Party』をJohn Parishと一緒にイギリスのブリストルで録音することになったきっかけは? アルバムにはあなたとJohn以外にPerfume GeniusことMike Hadreasと管楽器奏者のEnrico Gabrielli、シンガーのFenne Lilyが参加していますが、これもJohnの紹介だったのでしょうか?

Fenne LilyはMarlonを介して知り合ったの。彼女はMarlonのツアーで前座を務めていて、私はMarlonのツアーに同行していたから、そこで知り合いになった。彼女の歌声は素晴らしいと思った。先にJohnの話をするわね。2015年の大晦日に友達の家にいて、Laura Jeanの『Laura Jean』を手に取って、「これは何?」と聞いたら、その友達が「気に入るかもしれなから、それをかけてみなよ」と言ってくれたの。私はその晩、ずっと家にこもってそのアルバムを何度も聴いていたわ。そしてアルバムはJohn Parishがプロデュースしていたと書いてあったから、彼の今までの作品で好きなものを思い返してみたの。そして自分の曲を彼に送って、一緒に何かできないかと思ったの。その前にLauraはメルボルン出身だったから、彼女と先に知り合いになり、彼女からJohnの連絡先を教えてもらったわ。そして彼にメールとデモを送ったの。でもどうなるか分からなかった。彼が「イエス」と言ってくれるか分からなかったわ。でも彼はOKしてくれたから、その2ヶ月後にブリストルに行ってレコーディングを始めたの。

――Perfume GeniusやEnricoともJohnを介して知り合いになったのですか

Enricoとはスタジオで出会ったわ。彼はJohnの友達で、PJ Harveyともよく一緒に仕事をしていた。Enricoはスタジオで会った後に、私のライブにも何度か出演してくれた。とても素晴らしいミュージシャンであり素晴らしい男性よ。Mikeには非常に魅了されたわ。彼は、見る人を惹きつける素晴らしい魅力を持っているの。彼の作品も大好きだし。私の『Aldous Harding』が出た後に、オーストラリアで彼のツアーの前座をすることになったの。そこで彼と知り合いになり、仲良くなったから、私が次のアルバムを作ることになった時、彼に連絡を取って、曲を送って、彼に参加してくれないか頼んでみた。Johnの時と同様、彼が興味を持ってくれるか分からなかったけれど、私がやりたいイメージを大まかに伝えたの。彼は他の予定が海外であったからスタジオには来れなかったのだけど、海外のスタジオでパーツを録音してくれた。それからニュージーランドでは一緒にコンサートもやったわ。

――このアルバムを4ADからリリースすることになったきっかけは? アートワークを手掛けたChris Biggは往年の4AD作品でおなじみですが、最近の新人を手掛けるのは珍しいような気がします。これはレーベルのアイデアですか?

それについてはあまり私もよく分からないの。元々は、ホセ・リモンというメキシコ人振付師/ダンサーの写真を使いたかったの。けれど写真の使用権を取る時間が間に合わなかったり、<4AD>からは初のリリースだったから、アルバムのジャケットには私の顔を使う方がふさわしいとレーベルが考えたりしたことが理由で、私の写真を使うことになった。私はその案にはそこまで同意しなかったけれど、別にアルバムのジャケットのことはそんなに気にしなかった。だから妥協したの。そして、私が元々使いたかったホセ・リモンの写真と同じポーズを取って写真を撮ったの。当時のマネージャーが小さなカメラを使って撮った写真よ(笑)。面白かったわ。彼女はカメラマンでもなんでもないのよ。パジャマ姿で私のところに来て、写真をパチリと撮った。それをレーベルに送って、社内でアートワークを手掛ける人に託したら、クリスが仕上げてくれた。結果は良い出来だと思ったわ。

 
Aldous Harding『Party』のジャケットとホセ・リモン


――「Imagining My Man」とシングルの「Elation」で歌っていたコーラス隊はどのように集めたのでしょう? 誰のアイデアですか?

Johnに自分のイメージを伝えたの。女性だけのコーラス隊がいい、と伝えたら、Johnは素晴らしいシンガーたちを何人も知っているけれど、時間とコストを抑えるために、数人しか起用しないことにして、その人たちの声をレイヤーにして使ったの。最高な経験だったわ。シンガーたちの指揮を取るなんて初めてのことだったから楽しかった。どうやるかなんて分からなかったけど、腕を振って指揮を取る素振りをしたら、シンガーの人たちも私を理解してくれて、最高なサウンドを引き出すことができた。Johnのことを信頼していたから彼に頼んだの。そしたら彼は非常に有能なミュージシャンたちを連れて来てくれた。



――このアルバム『Party』がMarlon Williamsに捧げられているのはなぜですか? 彼について歌った曲もあるのでしょうか?

そうよ。全ての曲がそうかもしれないというくらい、彼についての曲ばかりよ。彼が私の人生の中で最も大切な人だったから。彼との関係で感じたことや経験したことがアルバムの曲の土台になったの。そのことについてはそれ以外に何て言えば良いのか分からないわ。分かるでしょう?



――最新作『Designer』はウェールズのRockfield Studiosで、現地のミュージシャンとレコーディングされています。Rockfield StudioといえばQueenが「Bohemian Rhapsody」を録音したことでも知られる伝統的なスタジオですが、どうしてここで録音することになったのでしょう?

そこでレコーディングするのはJohnのアイデアだった。なぜだったかはよく覚えていないけれど、以前使ったスタジオが空いていなかったからかもしれないわね。それに今回は、より多くのミュージシャンを使って大きなサウンドにしたいという私の希望があったのだと思う。あとは、Rockfieldでは宿泊が可能だったから。別にRockfield Studiosでレコーディングしたいと思ったわけではなかったの。私にそういうこだわりは特になかった。とにかく、素晴らしい場所だった。全てをそこでレコーディングしたわけではなくて、部分的にRockfieldでレコーディングしてから、残りを『Party』をレコーディングしたJ&Jで行った。あとPlaypenでもレコーディングしたから、様々な場所でレコーディングしたのだけど、大部分はRockfieldで行われた。そこでの1日が終わると、上の階にある自分たちの部屋に戻り、寝る。翌日はみんなで一緒に朝食を取るの。コーヒーを淹れるのも当番制にしてね。そしてレコーディング作業をする。そしてまた一緒に食事をする。とても素敵な経験だったから、是非またあのスタジオでレコーディングしたいと思う。エンジニアのJoeも素晴らしい人だったわ。

――過去の作品を聴いて、あなたがニュージーランド出身だと意識したことはなかったのですが、新作にはウェールズで録音されたにも関わらず、リズミカルでトロピカルな雰囲気の曲もあります。これにはどのような変化があったのでしょう?

何か違うことをやるために、変化は必要ないと思うの。それは分かってもらいたい。ただ今回のアルバムの作曲をし始めた時に、前回とは違うコンテンツが必要だという感じがしたの。その感覚に自然に従っただけ。違うコンテンツを意図して作曲したわけではないけれど、曲が完成に近づくにつれて、そういう雰囲気に仕上げたいと思った。こう言う細かい話は思い出すのが難しいの。曲作りのプロセスは自然に起こることで、私はそれを常に観察して記録しているわけではないから。そのプロセスを追って日記でもつけていればいいかもしれないけれど、今はしていないから。だからプロセスについて話すのは難しいの。考えずにやっていることだから。


Aldous Harding - Designer (4AD)


――アルバムのロゴは世界的に有名な“デザイナー”であるイヴ・サン・ローランを連想するのですが、タイトルの『デザイナー』とは何を意味しているのでしょう? このロゴをデザインしたのは誰ですか?

ロゴ、と言うかこのアルバムジャケットをデザインしたのは私のパートナー、H. Hawklineよ。私のイメージを伝えたら、2度目か3度目でイメージ通りのものをデザインしてくれた。彼には、シンプルでエレガントなものを、と伝えたの。出来上がったものは、私が求めていたものにぴったりだった。イヴ・サン・ローランを連想するのは面白いわね。先週もたくさん取材を受けたのだけど、私は、こういう風に捉えてもらいというような、色々な意味というものをあまりオープンに話すタイプではないのよ。だけどタイトルの意味について、自分ではもともと考えていなかったことを、取材を通じて分かったことがあったわ。“デザイナー”という言葉には、上品さとか気品というイメージが付随するでしょう? 「Designer」を作曲している時は、ニュートラルなフルストップをイメージしていたの。曲に特別な意味や、メッセージを持たせたくはなかった。でも先週から、少なくとも今現在においては、“Designer”はまだフルストップではあるけれど、私が“デザイナー[もの]”と言ったらそれはデザイナーになる、ということ。それは私だけに当てはまることではなくて、全ての人にとってね。自分が価値のあるものだと思えば、それは“デザイナー[もの]”になるということ。デザイナーというものは絶対的な価値としては存在しないのよ。分かるかしら? この考え方は、私がもともと意図していたものではないのだけど、タイトルについて取材で何回も質問されてから、もしかしたらそういう意味なのかもしれないと思うようになったの。



――以前から曲によって声色を使い分けていたと思うのですが、「Zoo Eyes」や「The Barrel」といった曲では、同じ曲の中にふたつの声色が混在しています。ふたつの全く異なる人格がいるような印象を受けますが、これはあなたの中でどういったイメージなのでしょう?

多様性は弱みではないと思うの。多様性は受け入れ、称賛されるべきだと思うし、可能な時はそれを使うべきだと思うの。「The Barrel」のコーラスは、まるで友達がやってきたような感覚なの。自分の側にやってきてくれた友達というイメージ。「Zoo Eyes」も同じ感じ。楽しい感じのバースがあって、その後に、誰かが来てくれて、世界について自分に何か教えてくれる。それは幻想(ファンタジー)の事実かもしれない。世界についての仕組みを教えてくれて、自分を安心させてくれる。「The Barrel」でも同じよ。新しい声が登場する。元々は音にメリハリをつけるために声色を変えたの。具体的にヴィジョンがあって、別のキャラクターを登場させようという考えはなかったけれど、音にメリハリが必要だと思った。もっと誇らしげにしたいと思ったの。確かに、新しい声が入ることで、喜びが増し、若々しい感じの弾みと言うかホップがついたと思う。声色を変えることに関しては、私はそれが可能だから、そうしているというだけ。私は、新しい試みをやることに対して恐れないし、トライすることは魅力的なことだと思うから。私たちの世代や、特に私が育ってきたニュージーランドでは、トライすること、実験的なことをすること、お芝居をしていることを認めたくない傾向が強くあるの。自分の能力の多様性を活用したり、実験的なことをしたり、新しいことにトライすることは、強みになると私は思っている。自分の性格でその多様性をバックアップできるのなら、それは強みになると思う。性格が面白くある必要はないけれど、自分がやったことを肯定的に認めて、負い目を感じていなければ、問題ないと思う。

ALDOUS HARDING
JAPAN TOUR 2019


12月15日(日)東京 渋谷WWW X
OPEN 18:00 START 17:00
スタンディング 前売り:¥6,000(ドリンク代別)
お問い合わせ:SMASH(03-3444-6751)