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[INTERVIEW] Nathaniel Rateliff & The Night Sweats


烈しい雨が降りつける中、フジロックフェスティバル '18の2日目、FIELD OF HEAVENでトリを務めたNathaniel Rateliff & The Night Sweats。そのアンコールで彼らが披露した最新作のタイトル曲「Tearing at the Seams」は、アルバムのプロデューサーであり、7月に急逝したミュージシャンのRichard Swiftに捧げられたものだった。

聖職者のコミュニティで生まれ育ち、フォーキーなシンガー・ソングライターとしてそのキャリアをスタートしたNathanielとその仲間たちは、レーベルからの契約解除と、生き別れの兄弟のようなRichardとの出会いをきっかけに、自身の内なる声を追い求めた、大所帯ソウル・バンドとして生まれ変わることになる。

サザン・ソウルの殿堂Staxから2015年にリリースされたセルフ・タイトルのファースト・アルバム以降、汗の飛び散るパフォーマンスで最強のライヴ・バンドの名を欲しいままにしてきたNathanielと相棒のベーシストJoseph Pope IIIが、その苦難と希望の日々について話してくれた。

※Joseph Pope III(左)とNathaniel Rateliff(右)

ずっと水の中で立ち泳ぎしながら
溺れないように必死にもがいていた


──あなたはドイツ生まれだと聞いたのですが、その後ミズーリ、そして現在の拠点であるデンバーに移り住むことになったきっかけは何だったのでしょう?

Nathaniel Rateliff(Vo./G.):ときどき誤解されているみたいだけど、ドイツ生まれなのは祖父なんだ。俺はミズーリ生まれで、親戚はドイツ語を話していた。

Joseph Pope III(Ba.):それと、俺たちが育ったハーマン(Hermann)って町はドイツ系の移民が作った町なんだ。

Nathaniel :小さい町の中で、特に年寄りにはドイツ語を話す人も多くて、ドイツの祭りも多かったよ。

Joseph:高校では唯一選択できた外国語はドイツ語だったしね。それしか選択肢がなかった。

Nathaniel :第二次世界大戦中にはあの小さな町ではきっと、いつか世界の共通語がドイツ語になると思っていたのかも(笑)。

──では、ミズーリからデンバーに移り住むことになったきっかけは?

Nathaniel :俺たちの小さな町では、あまり色々な機会がなかったんだ。Josephと俺は同じプラスチック工場で2度働いたことがあった。

Joseph:12時間ぶっ続けの夜勤なんかしてさ。

Nathaniel :夜8時から朝9時までとかね。だからそこじゃ俺たちにはチャンスがなかったのさ。その頃に友人のひとりが宣教師組織で働くためにデンバーに引っ越したんだ。宗教に囲まれて成長したし、まだ10代で他に何をするべきかもよく分からなかったから、宣教師にでもなるかと思って同じく引っ越したんだ。けど、すぐにそれが自分たちに合ってないと気づいたし、そもそもあまり信心深くもなかったことに気づいた──神の存在自体を疑うようになって、自分自身もろくに信じていないのに、他の人をキリスト教に入信させようとするなんて無理だと思ったのさ。

Joseph:俺の妻が長老教会派の聖職者になるためにイェール神学校に行って、信仰心を失ったみたいにね(笑)。組織の深いところまで入ったことで信仰をなくしたんだ。良い組織だけどね。そのおかげで俺たちも町を出られたし、そのチャンスを与えてくれたことにも感謝しているよ。

Nathaniel :それに俺たちもホームレスをサポートする活動に大いに関わることができたし、そういう活動をすごく尊敬しているよ。俺たちがデンバーでやっているホームレスの退役軍人へのサポート活動の基礎にもなっている。路上で生活している人に居場所を提供して、賃金や仕事の不平等、貧困を解消するための活動をしているんだ。でも、(宣教師活動で)ネイティブ・アメリカンのホピ族の居住地に行った時、俺はもともとずっとネイティブアメリカンの文化や歴史にすごく興味があったんだけど、先住民の人々にキリスト教へ改宗させようとする活動をしていて本当に恥ずかしくなった。本当に神がいるなら、こんなことが神の行う模範的な行為であるはずがないと感じたんだ。神は人々の持っている文化や信じるものにそんなに無神経であるはずがないとね。それで俺たちはその活動は辞めて、運送会社で良い仕事を見つけた。俺はその会社で10年働き続けて、ジョセフも会社は違うけど同じ業界に10年いた。音楽を演奏してツアーをしようと努力する傍らでさ。

──あなたは自分自身のことを“Non Believer”と称していますが、ご両親が教会で音楽を演奏していたことは、あなたにどんな影響を与えましたか?

Nathaniel :面白いのは、「教会で音楽をやりながら育った」って言うと、多くの人は南部のバプテスト教会風の、『ブルース・ブラザーズ』のワンシーンみたいにJames Brownが牧師やっている光景を想像するみたいだけど、全然そんなのじゃなかったよ(笑)。母はJames Taylorが大好きな12弦ギター奏者で、60年代や70年代の“ジーザス・ムーヴメント”でたくさんのヒッピーが魂の探求からキリスト教に入信した頃の世代なんだ。当時はすごく良かったんだろうと思うよ。“スウィンガー・クリスチャン(訳注:Swingerは性的に奔放な人を指す)”がいっぱいいてさ…。

Joseph:(爆笑)

Nathaniel :残念ながら俺はその時代に加われなかったけど…(笑)。でも音楽は俺の家族にとって重要なもので、たまたま教会がその一部だったってだけさ。母親は今も教会で演奏したり歌っているし、姉も教会で歌っている。父は25年前に亡くなった。でも良い経験だったよ、母親と一緒に演奏できてさ。俺はドラムとギターを弾いていた。俺自身もそうだし、Richard Swiftや友人であるDelta SpiritのMatt Vasquezとか友人の多くは同じように教会のコミュニティや居心地の良さとともに成長して、安全な環境で音楽に手を出してみることができたんだ。

Joseph:音楽を演奏する良い機会だったんだ。Marcus Mumfordだって音楽の讃美歌バンドで演奏していたし、友人の多くも含め、音楽自体を始めるきっかけというほどではなかったけど、ヴェニューもなく音楽やアートのシーンもない小さな町で、音楽を演奏する機会を与えてくれたよ。





──ソロ名義でのあなたの作品は、ソウルフルな現在の音楽性とは違ってフォーキーなシンガー・ソングライターといった印象でしたが、2013年にソロ名義での最後のアルバム『Falling Faster Than You Can Run』がリリースされるよりも前に、Night Sweats名義でのファースト・シングルとなる『Look It Here』がリリースされています。この音楽性の変化のきっかけは何だったのでしょう?

Nathaniel :きっかけは落胆からさ。自分ひとりでだったり、Josephと彼の奥さんのJulie(Davis)、Patrick(Meese)や時には他のミュージシャンと一緒に断続的にツアーすることを7年近く続けていて、ずっとどこにも到達できず、同じところをぐるぐる回っているように感じてきたんだ。<Rounder Records>からの最初のリリース『In Memory of Loss』を出した時、周りの皆に「お前たちは次のBon Iverになるぞ」とか言われたり、Tallest Man On EarthやThe Low AnthemとツアーしたりJustin Vernonと幾つかショウをやったりして、その方向性でうまくいくんじゃないかと思えたけど、実際それ以上にはならなかった。そのままレーベルとの契約が打ち切りになって、本当に意気を挫かれたよ。他のミュージシャンたちのようには芽が出なくてさ。原因の一部は間の悪さだったりして、努力の差ってわけじゃなかった。才能があるのにほとんど誰にも聴かれないまま終わっていくアーティストっていうのはたくさんいるんだ。

Joseph:頭打ちって感じがすごくしていたんだ。ずっと水の中で立ち泳ぎしながら、溺れないように必死にもがいているようでさ。とうとうバンド全員でツアーも回れなくなって、Nathanielひとりでソロ・ライヴをするようになって、俺たち全員すごく混乱していた。俺は35歳で生まれて初めて大学に通おうかと考えていたんだ。音楽は続けるつもりだったけど、キャリアとして追い求めるのはやめようかとさ。子供も2人いたし、すごくハードだったね。そういう失意と、車の中でドゥー・ワップを聴いていた子供時代から、ずっとNathaniel自身の頭と心の中にあった音楽を試してみようっていう気持ちから変化が生まれたんだ。

Nathaniel :それに『Falling Faster Than You Can Run』の制作をちょうど終えた頃に、友達が「スタジオに来て2曲くらいレコーディングしてみないか」って誘ってくれたんだ。『Falling Faster〜』は俺の選んだスタジオで、自分たちだけでプロデュースまでやったから、誇りには思っていたけど、レーベルから切られた直後で誰が聴いてくれるのかも分からなかった。だから誘われたとき、「アコースティック・ギターだので何かやるなんて御免だぞ、Mumford & SonsやThe Lumineersがもうやってるじゃねえか」って思ったんだ。あいつらのおかげで誰もアコースティック・ギターに触れなくなっちまったよ。

Joseph:(笑)

Nathaniel :今のは冗談だからな(笑)。どっちも俺たちの友達さ。とにかくそれでアコースティック・ギターの弾き語りみたいなのはやりたくないと思って、そういえば昔からソウルがやりたかったけど、一度もソウルの曲を書いたことがないなと気づいたんだ。家に帰って、バンドの音とSam & Daveみたいなサウンドの中間をイメージして試しているうちに出来たのが「Trying So Hard Not To Know」だった。同じ夜に「Look It Here」のアイデアも思いついて、その翌日には「I Need Never Get Old」のアイデアが浮かんできた。





Joseph:寝ているときに「Look It Here」を思いついて、ベッドから出て曲を作ったんじゃなかったっけ?

Nathaniel :そうだよ。あれは「Trying So Hard Not To Know」の続きみたいな曲なんだ。同じキーだしね。そんな感じで自分の中から自然に出てきて、気づいたらバンドを作ってショウをして楽しくやっていたのさ。長年ヘヴィーなシンガー・ソングライターものをやってツアーを回っていたけど、俺は昔から踊ったりふざけたりするのが好きだったんだ。心の根っこではピエロなんだよ。ピエロのメイクが好きなわけじゃなくて、おどけ者なのさ。

Joseph:人を楽しませるのが上手なんだよ。でも音楽そのものの中身、歌詞とかはヘヴィーなシンガー・ソングライター時代から全く変わっていないと思うよ。昔から歌いたかったことを歌い続けてはいるけど、音楽的にもっと気負いのないアプローチに変わったから、そういう苦しみや悩みみたいな、昔から歌い続けているテーマの内容がより消化しやすくなった。



──Night SweatsのメンバーでもあるJosephとPatrick Meeseは前身バンドのBorn in the Flood時代から一緒に活動していますが、彼らは音楽性の変化についてどんな反応をしていましたか?

Joseph:Nathanielが週末に書いたっていう最初の2、3曲を送ってきた時は、子供の頃から一緒にいて、Born in the Flood時代も含めずっと彼の声や歌詞やメッセージやハートを信じて一緒にやってきた人間として、いつだってその時やっていることが自分たちの過去最高だとは思っていたけど、全く違うと感じたんだ。曲を聴いた時の感覚が全く違っていて、今までで一番ナチュラルだし、彼の声の一番混じり気のないバージョンだと感じて、すごくエキサイティングだった。僕ら全員にとって大きな刺激だったよ。Patrickはその頃Tennisっていうバンドとツアーを回っていて、あまり一緒にいることも少なくて、バンドが空中分解しそうになっていたんだ。そこにこれらの曲が出てきたことで新たなエネルギーや希望が湧いてきて、全員その勢いに飛び乗って、そこからずっと止まらずに突き進んできたよ。

Nathaniel :いや本当に、ノンストップさ(笑)。

Joseph:最高だね!

──Night Sweats名義になってから、あなたのステージ上でのパフォーマンスや、ライヴでのオーディエンスの反応なども変わりましたか?

Nathaniel :シンガー・ソングライター時代はUKやヨーロッパでの方が受けが良かったから、最初にNight Sweatsとしてリリースする前のプロモ・ツアーは、ヨーロッパに行ったんだ。オランダやドイツでライヴをしたときのことをよく覚えているよ、ドイツのオーディエンスは全く反応がなくて──多分彼らはただ礼儀正しいだけなんだろうけど、それが興味なさそうに見えたりもする──人々が衝撃を受けているのが目に見えた。「なんだこれは!?」って感じでね。デンバーに戻って最初のショウをしたときも、友達のバンドのオープニングだったんだけど、ファンが一人近寄ってきて「今日はあの曲やる?」と聞かれたんだけど、「いや、前のやつは一切やらないよ」って謝ったんだ。

Joseph:まったく別ものだもんな。

Nathaniel :「悪いけど全然違うものになるし、それでも楽しんでくれることを願うよ」と言うしかなかったね。

Joseph:フォーク時代にそれほど成功していなかったから、反発も少なかったのは幸いだった(笑)。でもドイツの一部やヨーロッパとUKの一部ではまあまあ上手くいったよ。だから変化に戸惑ったファンもいただろうけど、最終的には…。

Nathaniel :最初は腕組みして観ていた観客もショウが終わる頃には関心を示してくれたりした。今じゃ同じ場所にツアーで戻るとその人たちがすっかり歓迎してくれて、すっかり状況が変わったよ。

Joseph:最近ではロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで3日連続公演をやったし、そのときにはNathaniel Rateliff時代のバック・シンガーもやっていた妻のJulieがいたから、みんなで昔の曲をやったりしたのは楽しかった。それに最近『In Memory of Loss』のアナログ盤を出したんだけど、当初やりたくて金銭的にやれなかったことだったから、感慨深かったね。



──Sam & DaveやOtis Reddingをリスペクトしているあなたからすれば、Staxからリリースするのは夢だったと思うのですが、どういった経緯で実現したのでしょう?

Nathaniel :<Rounder>から契約を打ち切られたのは、<Concord>が<Rounder>を買収したのが理由だったんだ。だからその後(Night Sweatsになってから)<Concord>が契約したいって言ってきたときは、「クソくらえ」と思った。でも他の選択肢もなかったしどうしようかなと思っていたところに、彼らが<Stax>もやっていることを知ったんだ。Night Sweatsの音楽はブルーカラーの労働者階級の音楽、そしてサザン・ソウルに大きく影響を受けているから、「<Stax>とやれないか?」と俺の方から提案したんだ。周りはみんな「そんなにうまくいくわけない」って言ったけど、<Stax>は俺たちの曲を聴いてすごく気に入ってくれて、契約することになったんだ。レコードにあのロゴが入るのはとても光栄だし、Deanie Parkerとスタックス・ミュージアムで演奏しにも行ったんだけど、(Deanieの口真似で)「あの、“I’d been waiting just to dance with you〜”って曲あるじゃない、あれ聴いてるとリズムに合わせて足をタップしちゃうのよ。あの曲やらない?」って言われてさ。「もちろんです、マダム!」って感じだったね。そういうレジェンドたちと一緒にやる機会に恵まれたり、音楽のみならず、文化の変わり目やコミュニティと人々の人生にも大きな影響を与えたカタログのひとつに加われるのはとても光栄だよ。

Joseph:このレーベルに加われたっていうのは、俺にとって最も信じられないことのひとつだよ。俺たちは先駆者ってわけじゃないから、この光栄さに見合うためにはまだ成長の余地があるけど、音楽の歴史を変えたレーベルに名を連ねられたっていうのは素晴らしいことさ。



──前作と違って、本作は最初からStaxからリリースすることが決まっていた作品だと思いますし、実際「Shoe Boot」や「Intro」といった曲はBooker T & the MG'sを連想したりするのですが、そういう意味で“Staxサウンド”を意識したりしましたか?

Nathaniel :俺たちは“Staxサウンド”をやろうとしていたわけじゃないけど、Booker T & the MG’sもそうだし、<Stax>のアーティストの多くがバンド皆で同じ部屋の中で、生で演奏したものを録っていたっていう点で同じことを試そうと思ったんだ。ファーストのときから俺たちはバンドとしてひとつになっていたから、全員をスタジオに集めてやったら自分の作曲にどう影響するのかを見てみたかった。みんなのことを信頼していたし、そういうやり方をしてみたら俺たち自身から何が出てくるのか知りたかったのさ。「Shoe Boot」はRichard(Swift)と一緒にやった最初の曲のひとつで、Richardは「ただライヴ・ルームに入って、音を出してみろ」って言うから、俺は「こりゃ最高だ!」って言って好きなようにぎゃあぎゃあやって、皆が呆れた視線を送る中Richardのところに戻って酒飲んだりしてたんだけど、そんな感じで数テイク録った後でみんなに「こっち来て、いま録ったのを聴いてみろよ」って呼んだら、すぐに曲を作っちまった。

Joseph:ある意味、俺たちは曲をレコーディングしてたことに気づいてすらいなかったんだ。録ったものを聴いてみて、「うん、いい感じだね、よし次のテイクをやってみよう」って言ったら、Richardが「いや、今ので終わりだ。みんな今ので完璧だったよ」って言ってさ。

Nathaniel :みんながジャムしている間に俺は歌詞を書きに行って、携帯のメモに書きつけたり、スタジオでそれに合わせて歌ってみたりさ。だから俺にとっては、バンドで一緒に生演奏することで人間同士の押し引きの加減が音楽に与える人間味っていうものを引き出すっていう形で、尊敬する<Stax>のアーティストたちと同じことをしようとしたんだ。





恐怖というものがすごく拡散されて宣伝されている中で
「他者」や「理解できないもの」に対して愛で答えている


──前作に参加していた元ShinsのRichard Swiftや、同じく元Shinsで、Fruit BatsのEric D. Johnsonとは、どのように知り合ったのでしょう?

Nathaniel :何年か前に俺ひとりでFruit BatsとツアーしたときにEricと友達になったんだ。彼はすごくいい奴だし、彼らの音楽もとても好きだからすぐに仲良くなった。Fruit Batsは<Sub Pop>と最も長く契約しているバンドなんだ。

Joseph:ホントに?

Nathaniel :そうだよ、あまり知られていないけどね。彼らのサウンドこそShinsが始まる前からのShinsの核となるサウンドをやっていて、それもふさわしい評価をされていないと思う。音楽やアートで生きているとよくあることだけどさ。まあとにかくEricとはそんな感じで出会ったんだ。

Joseph:そしてEricとRichardはもともと付き合いがあった。

Nathaniel :いろいろなバンドで一緒にやっていたしね。それで俺がオレゴンにいた時にRichardと一緒に「そうだ、EJも呼ぼう」ってことになって、Ericが一日来てくれて、その時録っていた曲で歌ってくれた。

Joseph:ファルセットでね。あいつはすごく高い音が出せるんだ。

Nathaniel :その通り(笑)。Richardとは最初はDelta Spiritを通してロンドンで出会った。Delta Spiritのオープニングをしたときだ。Kelly Winrich(Delta Spirit)が道を歩いていてたまたまRichardを見かけて、お互い偶然の鉢合わせにびっくりしながらKellyが「今夜プレイするんだ、来なよ」って言ってさ。Matt VasquezとRichardは昔同じ教会に違う時期にいたらしいんだけど、どちらもクリスチャン音楽をやっていたことはあまり知られてないし、本人たちもあまりその話はしないんだ。俺はそれがすごく笑えると思うんだけど。MattはRichardから大きな影響を受けていて、そのときのショウでもRichardにステージに出てもらっていた。その後Night Sweatsを始めてから、Josephの奥さん(Julie Davis)にデモを聞かせていたら、彼女に「これをRichardに送ってみたら? 彼はこれ気に入ると思う」って言われたんだ。それでそのときはRichardのことはよく知らなかったけど、テキストを送ってみたんだ。

Joseph:彼女はDamien Juradoと長いこと一緒に仕事をしていて、RichardもDamienと関わりが深かったから、北西部のコネクションみたいなのがあったのさ。

Nathaniel :<Stax>でやり始めたとき、A&RのMatt Marshallが「Richard Swiftをプロデューサーの候補として考えるべきだ」って言うから、「偶然だな、もうRichardと話をしてるよ」って言ったんだ。すごく自然な流れだったし、これが正しいって感じたよ。

──Richard Swiftは新作でもプロデュースを手掛けていますが、彼とはどんなところが合ったのでしょう? 

Nathaniel :彼とはすぐに気が合ったよ。電話をかけてくれて、俺の送った曲について話したりして、レーベルも挟まず金の話も一切なしで、すぐに一緒に仕事をすることで同意した。お互いやりたかったし、直接顔を合わせてすぐに友達になり、やがて兄弟のようになった。

Joseph:まるで生き別れの兄弟に会ったみたいにね。俺たちは全く違うところで育ったけど、とても似た境遇で似たような経験をしていてさ。何かをやり続ければ続けるほど世界が狭く近くなっていくけど、そんな風に自然に近しくなっていったんだ。

──彼のスタジオ・ワークの秘密があれば教えてください。

2人:(笑)

Nathaniel :「クソほども気にしない」ってこと。

Joseph:多くのスタジオではみんながヘッドホンを付けて、ミキサーがあって、一緒になって頭を突き合わせて深掘りしたりするけど、Richardのヘッドホンなんて見たこともないくらい安物でさ。俺たちは4人でクラップする音のオーバーダブを録ろうとしてたら、「4人分のヘッドホンが要るのか?」って言って、町の電気屋で買ってきたような延長ケーブルでヘッドホン2つを繋いで…。

Nathaniel :何人いようが、ヘッドホンは最大2つしかなかった(笑)。

Joseph:そんなゲットーな感じのセットアップだったけど、とにかく居心地がよくてさ…。ある意味、彼のマジックは彼の出してる雰囲気だと思うよ。彼が作った空間はすごく魅力的で本当にリラックスできる。

Nathaniel :人によってはそれは難しいとは思うけど。俺たちの初めてのレコード(『In Memory of Loss』)はBrian Deck(Califone、Iron & Wine他)とシカゴでやったけど、すごく良いスタジオで、プロデューサーがデスクに座ってて、ランチにはみんなで外に出て…っていう、いわゆるみんながイメージするスタジオって感じだった。

Joseph:すごく綺麗で、防音や音響設備もしっかりしててさ。

Nathaniel :マイクを変えるって言えば、「いくつもあるマイクを試してみて、その中から一番君の声に合ったやつにしよう」みたいな。Richardのところじゃ、ドラムをやってる時に俺がドラム用のマイクをひとつグイッと自分の顔の方に向けて歌いだしたりして、時にはドラムがうるさすぎるからマイクの周りを手で覆ったりしてさ。そんなざっくりしたやり方でやってたけど、人によってはそういうやり方は雑過ぎて耐えられないかもしれない。例えば何かが上手くいかなくて「どうしたらいい?」ってなっていても、Richardは「自分のパートを演奏すればいいんじゃねえか?」って言うだけさ(笑)。

Joseph:いい話がある。どのバンドかは言わないけど、彼がとあるバンドのレコーディングをしていたとき、楽器は全部録ったけどまだヴォーカルを録っていなくて、そのバンドのヴォーカルがRichardに「君のヴォーカル・プロセスはどんな感じ? 君のシステムを教えてくれないか?」って聞いたんだ。Richardの答えは、「さあ…そこの部屋に入って、一番歌いやすい歌い方をすりゃいいんじゃないか?」って(笑)。すごくシンプルなんだ。彼はヴィジョンを持ったアーティストと仕事をして、彼らのヴィジョンを形にするのさ。ただそこに行って、演奏する。それが俺たちのしたことさ。

──あなたの曲の歌詞は、もちろんあなた自身の経験や視点から歌われていると思いますが、音楽のスタイルやサウンド自体は、トラディショナルなものだと思います。このあたりのバランスについては、どのように考えていますか?

Nathaniel :ファースト・アルバムのときは、まだソウル・ソングの書き方もよく分かっていなかったし、曲の多くはちょっと冗談交じりだったりするけど、その一方でいつも曲に書いてきた愛や苦労や、幸せを探そうとする自分自身の中でのもがきとか、その難しさっていうテーマを歌ってもいる。パーソナルな悩みを描きながら、そこに希望もあるんだ。苦悩だけで希望がなかったら続けていく意味がないからね。俺はいつも自分自身に、「続けるべき理由があるはずだ」って言い聞かせているんだ。それにファーストでは自分で作ったストーリーを自分に語り聞かせたりしていた。俺たちは昔よくHowlin' Wolfの「Wang Dan Doodle」を聴いていたんだけど、あれはパーティーについての曲で、どこか田舎のパーティーでどんちゃん騒ぎをして、夜の終わりにまだ周りでパーティーが続く中、愛する相手とベッドに倒れ込んで今夜はこのままずっと一緒にいよう、っていうのが俺にとってのあの曲の解釈なんだ。歌詞の面ではシンガー・ソングライター時代のように色々な思いを込めたかったけど、それでいて他の人々にも共感してもらえるような視点から書いて、ただの俺の愚痴みたいにならないようにしたかった。



Joseph:(笑)そうだな、より普遍的なアプローチをしていると思うよ。曲に心を動かされるっていうのは、書いたアーティスト本人が何を意味していたかに関わらず、自分自身がパーソナルに共感を覚えるってことだからさ。それが一致することもあるけど、多くの場合は自分自身の解釈なんだ。だからNathanielはすごくパーソナルなことを歌いながらも、うまく解釈の幅を残していると思う。本人が自分で思っているほど、自分のことを上手に隠せてはいないと思うけどね(笑)。

Nathaniel :(笑)

──ライヴではThe BandやSam Cooke、Leon Russell、Leonard Cohen、Erma Franklinなどをカバーしているそうですが、他にカバーしてみたいアーティストはいますか?

Nathaniel :今はKevin Morbyの「Beautiful Strangers」のカバーをやろうとしているよ。あの曲はパリのバタクラン銃乱射事件への彼のレスポンスなんだ。特に今のような時代に、そういう話題を取り上げるのは重要だと思うんだ…テロリズムの話にはしたくないんだけど、暴力や銃、その入手しやすさといった問題に対策がされていないと感じるからさ。だから彼があの曲の中で、「自分がその場にいたらどうするか?」って投げかけているのはすごく良いことだと思う。



Joseph:恐怖というものがすごく拡散されて宣伝されている中で、あの曲は「他者」や「理解できないもの」への恐怖に対して愛で答えていて、みんな同じ状況にいるんだってことを思い起こさせてくれる。とてもパワフルな曲だよ。それに俺たちがSXSWでThe Rootsのサプライズ・ゲストとして一緒に演奏する予定だったとき、爆破予告があってそのショウがキャンセルになったんだ。幸い何も起こらなかったけど、そんなことが身近に起きるなんてクレイジーだった。そういう理由もあって、この曲は俺たちにとって重要なんだ。

Nathaniel :あとは、カバーで言えばBruce Springsteenの「Atlantic City」もやってるし、Joe CockerとLeon Russellの『Mad Dogs & English Men』を丸ごとカバーするって構想もあった。Willie Nelsonとかもやるかもしれないし、色々あるよ。俺にとっては自分の曲を書くよりも人の曲をカバーする方が難しいんだけどさ(笑)。「人の曲練習してないで、自分の曲書くべきなんじゃねえか?」ってよく泣き言いってるよ。

──Nathanielは昨年リリースされたChuck Berryの遺作『Chuck』にも参加していましたよね。

Nathaniel :ああ、俺自身はChuck Berryには会えなかったけど、両親や叔父叔母達はミズーリのChuckの家でよくパーティーしていたらしいんだ。だから俺が『Chuck』に参加したって知った母親が「あんたChuckと歌ったんだって? お父さんがびっくりしてひっくり返るよ」って言ってたね。Chuckの家族にも会って、彼の葬儀にも参加させてもらって、すごく光栄なことだよ。俺にとっちゃChuck Berryこそ真のキング・オブ・ロックンロールなんだ。みんなElvis Presleyが大好きで、Elvisは誰もが受け入れやすい要素をロックンロールに持ち込んだけど、俺の意見じゃChuck Berryはリズム・アンド・ブルースにカントリーのスウィングを持ち込んでロックンロールを生んだ本当のイノベーターだよ。



※ここで30分を過ぎたのでインタビュー終了を告げたところ…

Joseph:質問全部聞いた?

──ひとつだけ残ってますが…。

Nathaniel :どんな質問?

Joseph:(スタッフに向かって)大丈夫、大丈夫!俺たちが質問してくれって聞いたんだ! もう一問だけ!

──ライヴでギターを交換する際に、ローディーに向かってギターを放り投げるのが定番になっているそうですが、どのぐらい飛ばせるのでしょう? 失敗して壊れたことはありますか?

Joseph:ああ、ちょうど最近失敗したね!

Nathaniel :ギターを投げてサウンド・エンジニアのコンピューターを壊したんだ(笑)。ギター・テックの頭上を越えて、コンピューターの上にガシャッとさ。「あ〜クソッ!」ってね。でも次の日になったらすっかり忘れて、エンジニアがでかいモニター使ってたから「それ帰りの飛行機に持って乗るの? 笑える見た目になるね」ってからかったら、「ああ、お前がきのう俺のコンピューター壊してくれたおかげでね」って言われて……我ながら「うわ〜、とんだクソ野郎な発言しちまったな」と思ったよ(笑)。


※9:15〜あたりでギターを投げてます


Nathaniel Rateliff & The Night Sweats - S.T. (Stax)


Nathaniel Rateliff & The Night Sweats - Tearing at the Seams (Stax)
Posted by Monchicon
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