評価:
Anti-
(2016-08-26)

死んだ犬は治せない

黒人だけを襲うように調教された白い犬──フランスの小説家ロマン・ガリが、自分の妻であり、ジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』のヒロイン役で知られる女優のジーン・セバーグの身に起こった事件をモチーフに書いた小説『白い犬』を映画化したのが、サミュエル・フラー監督の『ホワイト・ドッグ』(1982)だ。

一方、これまで4ADやDominoから作品をリリースしてきたカリフォルニアのシンガー・ソングライター、Cass McCombsのAnti-移籍第1弾となるアルバム『Mangy Love』は、こんなフレーズで幕を開ける。

 The white dog of the farm still breeds
 あの牧場の白い犬はまだ繁殖する
 she’s off her leash
 彼女は鎖をほどく
 to tear flesh and teach
 肉を引き裂いてわからせるために
 bum bum bum
 バム・バム・バム


アメリカが抱える人種差別問題に牙を剥いたこの「Bum Bum Bum」からもわかるように、通算8作目となる本作は、歌詞の面でも音楽の面でも、彼のキャリアの中でもっとも挑戦的、かつ挑発的な作品だ。


これまでにもBlake Mills(Alabama Shakes、John Legend)やAriel Rechtshaid(Vampire Weekend、Haim)といった若きプロデューサーを見出し、いち早くコラボレートしてきたCass McCombs。そんな彼が今回タッグを組んだのは、BeckやElliott Smith、最近ではKurt Vileの作品で知られるベテランのRob Schnapfだ。他にもGang Gang DanceやLilys、Beachwood Sparksといった旧知のバンドのメンバーが多数参加した本作は、まさにこれまでの集大成と言える内容になっている。

Phishのベーシスト、Mike Gordonが歌うイントロダクションに続いて始まるのは、Sky Ferreiraに提供した同名曲を改作したというヘヴィな「Rancid Girl」。西アフリカ風のギターとパーカッションに乗せて女性を鼓舞する「Run Sister Run」もあれば、Benevento Russo DuoのJoe Russoがドラムで参加した、「Switch」のようなライト・ファンクもある。フィリー・ソウルを意識したというCassの歌声も艶やかで、シンガーとしての円熟が感じられるが、音楽的にはこれだけバラエティに富んでいながらも、全体を貫くトーンは重苦しい。



「Bum Bum Bum」のラストで、主人公は白人至上主義団体KKK(Ku Klux Klan)の構成員である下院議員に手紙を送るのだが、その返事として一本の櫛と一台のiPhoneが届けられ、一度だけ呼び出し音が鳴ると回線が途絶え、あたりは真っ赤な血に染まる。ジーン・セバーグが公民権運動にのめり込み、黒人過激派のブラック・パンサー党を支援したためにFBIにマークされて謎の死を遂げたことを考えれば、その結末はあまりにも恐ろしく、寒気がするほどだ。

けれどもそんな不安を拭い去るかのように、彼は「Laughter Is The Best Medicine(笑いが最良の薬)」だと歌っている。前作に参加していた女優の故Karen Blackに代わる新たなミューズ、Angel Olsenとデュエットした「Opposite House」では、言葉遊びのような歌詞で現実をシュールに戯画化する。憎しみのあまり、自分自身が白い犬になってしまわないように。



サミュエル・フラーの『ホワイト・ドッグ』で、洗脳された白い犬を元に戻そうと懸命に努力する黒人の調教師は、「どうして犠牲者が出る前にその犬を殺してしまわないのか?」と聞かれて、こんな風に答えている。

「死んだ犬を治すことはできないからだ」

最低なことばかり起きた2016年。Cass McCombsの言葉に、そして彼の音楽に救われたのは自分だけではないはずだ。