評価:
Merge Records
(2016-11-04)

大統領の夫

“FLOTUS”という言葉には“First Lady Of The United States(アメリカ合衆国大統領夫人)”という意味があるそうだが、2012年の前作『Mr. M』リリース後、夫人のMary Manciniがテネシー民主党の議長になってしまったLambchopのKurt Wagnerの心境たるや、まさに“FLOTUS”だったことだろう。


90年代にLucy’s Record Shopというナッシュヴィルのパンク系レコード・ストア兼ライヴハウスのオーナーだったMaryは、オルタナ・カントリー・バンドであるLambchopに当初は全く興味を持っていなかったそうだが、店にツアーでやってくるバンドが毎回のようにLambchopを前座に指名するので顔見知りになり、次第に親密な関係になっていく。Kurtと結婚した後も依然として音楽の趣味は変わらず、どちらかというとコマーシャルなポップスやヒップホップを好んで聴いていたというMary。Frank OceanKanye Westに影響されたという今回のアルバムには、そんなMaryに聴いてもらえるようなレコードを作りたいという、Kurtの切実な思いが反映されているようだ。

そんなKurtはある日、Jack Whiteが運営するナッシュヴィルのThirdman Recordsでインストア・ライヴをしていたヒップホップ・デュオShabazz Palacesを見て、彼らの使っていたエフェクターに興味を持つ。それがTC-Helicon VoiceLive 2というヴォーカル・プロセッサーだと知ったKurtは、アルバムの全編に渡ってプロセッサーを通した変調ヴォイスをフィーチャー。こうして完成したのが、Tommy Tutoneの「867-5309/Jenny」や、Van McCoyの「Hustle」といった往年のヒット曲にオマージュを捧げたエレクトロニックな長尺曲を含む本作、『FLOTUS』というわけだ。もっとも、プロデュースを手掛けたRyan NorrisとKurtは近年HeCTAというエレクトロニックなサイド・プロジェクトで活動しており、過去にもCurtis Mayfieldカバーしたり、Zero 7リミックスを依頼したりしているLambchopを知るファンなら、今回の変化もすんなりと受け入れられることだろう。



ところが、アルバムのジャケットにもオバマ大統領と肩を組むMaryのイラストを使うなど大フィーチャーしたにも関わらず、肝心の彼女からの反応は、意外にもそっけないものだった。

「彼女からは、普段の僕の歌声のほうが好きだって言われたんだ。とんだマヌケだね」

Kurtはそう自虐的に語っているが、アルバムの素晴らしい出来栄えを聴けば、彼の努力も決して無駄ではなかったことがわかる。それどころか、大統領選を前にして本作をリリースしたことで、“政治家の伴侶”としての役割を、立派に務め上げたとさえ言えるだろう。

しかし政治家の妻のことを題材にしていながら、このアルバムは決して政治的な作品にはなっていない。ここで扱われているのは政治そのものではなく、“それが何であれ、自分のパートナーの挑戦をサポートできるか”という、もっと普遍的なテーマだからだ。

「ビル・クリントンが次の“FLOTUS”になるかもしれない。妻が立候補したら、僕も“FLOTUS”になるのかな?」

そんなKurtの期待は現実にならなかったが、“FLOTUS”というタイトルにはもうひとつ、“For Love Often Turns Us Still(しばしば僕らを無口にさせる愛のために)”という意味もあるらしい。音楽の趣味の違いや、政治的スタンスの違い、考え方の違いはしばしば人を傷つけ、無口にさせてしまう。しかし本作は、どんな人にも彼らの家庭があり、愛する人がいるのだという、そんな当たり前のことを思い出させてくれるのだ。