2000年代後半からNo Fun Productionsなどより作品をリリースし、2010年にEditions Megoでのアルバム『Returnal』にて、アンビエント/ドローン/ノイズ方面の文脈で高い評価を受けたニューヨークの電子音楽家Daniel Lopatinのソロ・プロジェクトOneohtrix Point Never。Mexican Summer内の自身のレーベルSoftwareから発表した2011年の『Replica』に続いて、Warp移籍後初となる最新作R Plus Sevenが9/21にリリースされる。これまでよりもメロディアスで「音楽」的なアプローチを試みているのが印象的だ。というわけで、Ford & Lopatin名義での活動やTim Heckerとのコラボでも知られ、最近ではNine Inch Nailsのリミックスを手掛けた彼にインタビューを試みた。

なお、文量が多くなってしまったので今回は前編・後編の二回に分けてお送りします。まず前編ではボストンで生まれたロパティンがいかに電子音楽に目覚めたのか、について。彼の出自がよくわかる内容になっております。意外な日本のバンドも登場!? 早速ご覧ください(後編はこちら)。

Oneohtrix Point Never - Still Life (Excerpt)



「それは“T-SQUARE”と“プレイボーイ”との融合だった」


――あなたは元々ボストン出身だそうですが、ご両親はロシア出身だそうですね。新作『R plus Seven』の2曲目が「Americans」というタイトルだったのが少し気になったのですが、ロシアの血を持つあなたの目から見てアメリカという国はどのように見えていますか? 2009年に『Russian Mind』というタイトルのアルバムも出していましたが。

『Russian Mind』というタイトルは冗談みたいなものだった。友人がふとした時にこう言った「ロシア人には悲劇的な感じが本質的に備わっている」と。その考えが『Russian Mind』というタイトルに繋がったんだけど、その友達のコメントには笑ってしまったよ。こういう質問は難しくて、僕自身あまり答えたくない。とても複雑だし、個人的なことだ。僕はアメリカ人の子どもみたいに育ったけど、家庭環境はロシア人の移民が両親という家庭だった。だから常に変な感じがした。家では僕はアメリカ人すぎたし、学校では反対にロシア人すぎた。自分がどこにも属さないように感じられた。でも、そのおかげで僕は想像力が豊かになったと思う。僕は結局のところパンクにもならなかったし、ヒッピーにもならなかったし、何にもならなかった。全てのものをアラカルトで色々試してはみたけれど、本気で特定のタイプのグループにはまったりはしなかった。僕の人生そのものが、どこにも属さずに歩んできたものだったからだと思う。僕の両親はロシアを離れてアメリカに来た。ロシアでの生活は厳しかったらしく、彼らには、ロシアでの良い思い出なんてないようだ。だが、アメリカのことも特に気に入っているというわけではない。僕はそんな曖昧な思いのもとで育てられた。だから僕は、国を背景としたアイデンティティというものに対して興味がないし、そんなもの自体あまり信用していない。傾向としては避けている話題だね。

Oneohtrix Point Never- Russian Mind



――子供の頃に両親からNintendoを買ってもらって、ゲームにハマっていたそうですね。ゲームは「サイケデリックな体験」だったって語っていましたが、そうした体験やゲーム・ミュージックといったものが自分の作る音楽に影響をもたらした部分はありますか?

影響はあるけど、僕が影響を受けているのはゲーム音楽の音の設計のされ方や、音そのものや、音から生まれる行動などに限られる。僕は特にゲーム音楽やそのサウンドが好きと言うのではなくて、ゲームをしている最中に見たり聴こえてきたりする、ときには不似合いな、映像と音のマッチングが好きなんだ。例えば、僕がヴィジュアル的にもサウンド的にも一番好きなゲームはマニック・シューター(*弾幕系シューティングゲーム)。こっちではあんまり人気がないんだけど、日本では結構人気があると思う。すごく熱狂的でクレイジーなゲーム。画面全体がカラフルな動きでいっぱいになっている。全てのものが爆発していて、音楽は多くの場合クレイジーなメタルがかかってる。フェイクなエレベーター・メタル(*喫茶店やレストランなどでBGMとして流される音楽を英語圏ではエレベータ・ミュージックと呼ぶ。この場合は「フェイクな、まるでエレベーターの中でかかってるようなメタル」)かジャズ・フュージョン。そして同時に爆発の音。そういうのが本当に大好きなんだ。ゲームのクレイジーな物語的要素は好き。ただ、具体的に見ていくとお決まりな感じがするからあまり関心させられない。でも、一歩下がってその全体像を一つの経験として見ると、すごくサイケデリックだと思う。


――先ほどおっしゃていたマニックシューターというのはジャンルですか? それともゲーム名ですか?

ジャンルだよ。縦スクロールシューティングゲームとも言うんだけど、ゲームのスタイルだ。でも必ずしも縦スクロールである必要はない。シューティングゲームで、画面いっぱいな感じのクレイジーなゲーム。僕の意見では、ゲームはあれ以上クレイジーに作れないと思う。音楽で言ったらハッピーハードコアみたいなものだよ。すごくクレイジーで変わってる。このスタイルで一番有名なのは『怒首領蜂』(どどんぱち)じゃないかな。

怒首領蜂



――ちなみにあなたのユニットFord & Lopatinも元々はGamesと名乗っていましたよね。

あれは、「精神的なゲーム(駆け引き)」という意味で使ったと思う。

――Nintendoでは最初にハマったのがマリオで、ゼルダにはあまりハマらなかったそうですが、たとえば「Final Fantasy」や「Dragon Quest」といったRPGにはハマりませんでしたか? というのも、「Americans」はまるでRPGのOpeningで流れるようなファンタジックな曲だと思ったからなんですが。。

それは大変嬉しい褒め言葉としてもらっておくよ(笑)。僕はRPGはあまり得意ではない。というか、ゲーム全般が下手だ。ただゲームが好きなだけ。だからゲームの最高峰とも言えるRPGは、僕の能力の限界を遥かに超えていて、僕にとってはものすごく難しく感じられる。僕はPS1を持っていて、「Final Fantasy 7」をやっていたんだけど、それ以来RPGはじっくりやっていない。RPGの何が好きかというと、その意気込みとかスピリットが好きなんだと思う。でも僕が自信を持ってRPGの主人公をやれるかというと、そうではない(笑)。

――RPGはどんどん難しくなっていきますよね。Final Fantasyも1, 2, 3・・・とあってどんどん複雑になっていった気がして私もやめてしまいました。

そうなんだよ! 物語の途中でも細かい情報やヒントがいろんなところに隠されていて、それを探して見つけて、隠れたメッセージを理解して・・・って僕にはいっぱいいっぱいでお手上げだよ。



――Ford & Lopatinで活動を共にしているJoel Ford(写真)とは高校時代から長い付き合いだそうですが、彼とはどのように知り合ったのですか? Joelは元々グランジ・バンドでギターを弾いていて、あなたは触ったこともないのにベースを弾かされたというのは本当ですか?

(笑)そうなんだ。僕は彼に言われて、ベースを弾かされたんだけど、その当日に僕はバンドをクビにされた。ベースの持ち方がダメだったらしい。ベースを持つ姿勢というのかな。Joelに「ベースはそうやって持つんじゃない。それはクールじゃない」と言われたんだ。僕はベースをギターのように弾いていた。とにかくよく分からなかったから。そう、僕たちは6年生の時からの知り合いだ。12歳のときから。僕と彼は様々は時期を経て、様々なバンドを一緒に経験した。一番昔からの友人だ。彼は何年かあと、僕をキーボード演奏者として同じバンドに再採用してくれた。でもベーシストとしてはダメだった。イケてなかったんだ。

――その頃は意外なことにJazz Fusionを聴いていたそうですね。Jan HammerやChick Coreaといった鍵盤奏者がフェイバリットだったそうですが、彼らにどのような魅力を感じていたのでしょう? Chick CoreaのやっていたReturn to Foreverの持つリリシズムはOneohtrix Point Neverの世界観に通じるものを感じるのですが。

日本のジャズ・フュージョンの話をしよう。僕はT-SQUAREが大好きだ。T-SQUAREのカセットを昔集めていた。僕の伯父が持っていたんだと思う。とても一般的なジャズ・フュージョンだよ。エレベーター・ミュージックみたいな(笑)。でも好きなんだよ。伯父がカセットを持っていたんだけど、彼が80年代後半に住んでいたアパートは、子どものときの僕にとって本当に不気味で怖いところだった。『アメリカン・サイコ』みたいで全てが完璧だった。そこで彼はT-SQUAREをかけるんだ。そして僕はそのアパートで、彼の持っていた雑誌「プレイボーイ」を見つけて読んでいた。僕は子どものころに強烈な性的覚醒という経験をしたんだ。それは、日本のフュージョン・バンドと「プレイボーイ」との融合だった。Chick Coreaに関しては、キーボードがとにかく好きだったんだと思う。父親がフュージョンのカセットをたくさん持っていて、それが初めてシンセを聴くきっかけになった。シンセの音を聴いてかっこいいなと思い、シンセが好きになったんだ。

T-SQUARE TRUTH



――アナログ・シンセの魅力に目覚めたのはお父さんの地下室に置いてあったシンセJuno 60に触れたのがきっかけだそうですが、この楽器の魅力は何だったのでしょうか? そして、そこからがOneohtrix Point Neverとしての活動のスタートだったのでしょうか?

確かにそう言えると思う。シンセの見た目がクレイジーで、操縦席みたいに見えた。自分が小さい頃は、大きな物体はとても大きく感じられる。だから、ヘンテコなダイアルがいろいろ付いている、あの大きなキーボードの前に立ったとき、まるで自分が飛行機の操縦席にいるような感じがした。とても不思議な感覚だった。ボタンを押してみたり、いろいろ触ってみたりして、どんなことが起こるのかを見るのは魔法を使っているみたいだった。音の共鳴の度合いを変えるとどうなるか、と初めて知ったのもシンセを通してだった。Attack、Decay、Sustain、Releaseの基本を学んでからは、僕の人生は一変してしまった。そういうのが好きならね。それは人生を一変してしまうほどの衝撃だった。そこから僕はシンセをいじって色々な音を出してみた。子どものころの経験はとてもパワフルだった。僕は大人になってから、他の楽器を使って、当時経験したようなパワフルな体験を再現しようと思ったけど、それは二度と経験できないことなんだ。物事をなにも知らない状態から、何か新しいものを知ること。それはとても稀で貴重な体験なんだ。大人になって、様々なことを知ってしまうと、そのような体験をするのは難しい。でも僕は自分の音楽を通して、単なる記号や言語から感じられる以上の感覚を呼び起こしたいと思っている。

ROLAND JUNO-60 Analog Synth 1982 | DEMO



――2012年に、初期の音源をまとめた3枚組のCD『Rifts』があなたのレーベルSoftwareからリイシューされていますが、この時期の音源を今振り返ってみてどう感じますか?

あの時期の音源は好きだよ。僕の、クレイジーで爆発的で雑な感じの音楽制作に対する姿勢が表れていると思う。今となっては、『Rifts』に入っている曲すべてに共感できるわけではないけど、その当時僕が感じていたことはとても興味深い。その日にいじっていた音をそのまま捉えて、それで曲が完成していた。その後に手を加えて直したりしないで、そのままの状態でよしとした。あのアルバムに入っている曲やあの時期に対してセンチメンタルな感じになる。当時の僕の音楽はとても粗削りで雑だった。だから恥ずかしくもある。でもそれと同時にその粗削りで雑な感じは今振り返るとクールだと思えるんだ。

――2008年にボストンから現在住んでいるニューヨークに移ったそうですが、これはどのようなきっかけだったのでしょう? ボストンとニューヨークでギャップのようなものは感じましたか?

僕は公文書保管人になるためにニューヨークの大学院へ入った。それがニューヨークに移ったきっかけだ。でも本当の理由は、ボストンに嫌気がさして、ボストンから逃げたかったからだ。ニューヨークがボストンと違うか、というのはよく分からない。自分がニューヨークへ移ったときは、常に半狂乱な状態だったから・・・20代の頃の僕はどこにいても半狂乱だった。だからニューヨークとボストンの違いを挙げるのは難しい。ボストンは僕が子ども時代に育った街だから安心感はある。でも正直な話、あまり思い出せないよ。記憶のすべてがぼやけているんだ。

part2へ続く)


Oneohtrix Point Never - R Plus Seven (Warp / Beat)