評価:
Merge Records
(2010-08-03)

帰郷

カナダのロック・バンド、Arcade FireのフロントマンであるWin Butlerと、その弟のWillが育った街、アメリカはテキサス州のヒューストン。四方八方、どこを向いても、車の窓から見えるのはありふれた景色ばかり──そんな街を舞台にした彼らのサード・アルバム『The Suburbs』は、こんな一節で幕を開ける。

「そんな郊外で、僕は車の運転を覚えたんだ」

それは奇しくも、彼らのデビュー作『Funeral』の最後の曲でWinの妻のRegineが歌っていた、「わたしは生涯をかけて、車の運転を学んでいるような気がするの」という最後の一節と、呼応しているようにも思える。

もしかしたらこの『The Suburbs』は、『Funeral』の主人公だった子供たちが成長して、自分たちの生まれ故郷を再訪している、そんなアルバムなんじゃないだろうか。
全編に不穏な緊張感が漂っていた2007年の前作『Neon Bible』の1曲目では、「鏡よ鏡、爆弾がどこに落ちるか教えておくれ」と歌っていた彼らだが、本作のオープニングを飾るタイトル曲の「The Suburbs」では、枯れ果てたカントリー調の曲に乗せて、こんなことが歌われている。

「だけど最初の爆弾が落ちる頃には、僕らはすっかり退屈していたんだ」

言うまでもなく、前作と本作の間のアメリカには、大統領選という大きな転換点があった。端から無関心だった連中は、「ほら、結局何も変わらなかったじゃないか」と、したり顔でサイケデリックやサーフ・ロックの享楽に身を委ねることもできたかもしれないが、本気で世界が変わることを信じて、オバマの就任パーティーでライヴまで披露したArcade Fireにしてみれば、歓喜の後にやって来た虚脱感は、相当なものだったに違いない。

「ビジネスマンは僕らの血をすする」という、ボブ・ディランの「見張り塔からずっと」を思わせるフレーズで始まる「Ready To Start」に至っては、さらに辛辣だ。『Funeral』の「Wake Up」という曲で、あれほどまでに大人たちの欺瞞を告発していた彼らが、ここでは「子供たちはみんな知っている/王様が服を着てないってことを/それでも彼らはお辞儀をするだろう/独りになるよりはずっとマシだから」と、自己批判のようなことまで歌っているのである。

「Rococo」では流行に踊らされる現代の子供たちを嘆き、「Suburban War」では、髪を切ってすっかり変わってしまったかつての同志を嘆く──そんな退役軍人のような一抹の寂しさは、音楽そのものにも如実に現れている。「Wasted Hours」はCrazy HorseのいないNeil Youngのようだし、Depeche Modeのような「Half Light II (No Celebration)」や、ABBAかBlondieかといった「Sprawl II (Mountains Beyond Mountains)」も、音楽的な新機軸というよりはむしろ、彼らが幼少期に好きだったアーティストを真似してみせたような、ノスタルジックな印象を受けてしまう。けれども、そんな停滞感や、少し歩を緩めた回顧的な視点こそがこのアルバムのテーマそのものであり、現在の彼らの、そしてアメリカという国を映す鏡になっているという点では、細部まで周到に張り巡らされた歌詞も含め、やはり本作は恐ろしく完成度の高いコンセプト・アルバムなのである。

それに、彼らはすべてを諦めてしまったというわけではなかった。だからこそ「Ready To Start」のラストでは、「もう準備は出来ている/僕は間違えたいんだ/君の歌の影で生きるよりは」と歌っているし、この全16曲という長い長いアルバムを、彼らはこんな風に締めくくっている。

「もしも僕が無駄にしたすべての時間をもとに戻せるのなら/やっぱりもう一度無駄にしたい」

これは蓋し名言である。自分は間違っていたのかもしれない、そう思ったかつての少年は、無くしてしまった何かを取り戻すつもりで、生まれ故郷へやってきた。けれども、やっぱり無くしたものなど何もなかったし、間違っていたことなど、何一つなかったのである。